ログインガレスの署名がある引き渡し要求を前に、私は食べかけの煮込みへ手を伸ばせずにいた。彼は昨夜、私が北門から出ていけば調査を広げずに済むと言った。今度は自分が送り出した相手を、逃亡者として連れ戻そうとしている。
エイドリアン王はダリオから紙と筆を受け取ったが、すぐには書き始めなかった。 「リヴィア。長老から群れを離れるよう命じられたのは、誰がいる場だった」 「長老が二人、イーダ、それに見張りです。イーダは私を北門まで送ってくれました。門番も、止めずに通しています」 「命令の文書は渡されたか」 「いいえ。口頭でした」 王は頷き、短い返書を書いた。使者の前で読み上げるようダリオに渡し、私にも内容を聞かせてくれる。私が逃亡したという主張と、長老会の退去命令との食い違いを確認すること。北門の記録と、命令に立ち会った者の証言を求めること。それまで身柄の引き渡しには応じないこと。 王は私が無実だとは書かなかった。冷たく感じてもおかしくない文面なのに、私にはありがたかった。確かめられる事実から始めれば、イーダたちの証言も意味を持つ。 「これでしばらく時間ができる」と王は言った。「向こうの返事が来るまでに、こちらも帳簿を調べよう」 「ありがとうございます。イーダにも、私がここにいると手紙を書いていいですか」 「もちろんだ。ただ、その前に使者が帰る。彼女の名を返書に入れたくなければ、『退去命令に立ち会った者がいる』とだけ書き換えられる」 私は彼の持つ紙を見た。イーダはすでに長老たちの前で私をかばっている。それでも、王への返書に名前を出されると、また違う負担がかかるかもしれない。 「今は名前を伏せてください。私から先に、彼女へ話します」 王はダリオへそう伝え、一行を書き直した。私が頼んだことが、その場で文面に反映される。昨日、祝祭の広間でどれだけ話しても、誰にも届かないように思えたのを覚えているだけに、不思議な心地だった。 警備所には客用の小部屋が一つ空いていた。案内された寝台に横になると、疲れが急に体へ戻ってきた。枕元にはイーダの上着を畳んで置き、古い帳簿は鞄にしまう。扉の外を兵が通るたび目は覚めたが、それでも、家の封印を見た夜よりは長く眠れた。 翌朝、王の返書と私の手紙がそれぞれ出された。イーダには警備所の場所、食事を取ったこと、手元の古い帳簿から北倉へ届かなかった荷の記録が見つかったことを書いた。彼女に調査を頼みたくなったが、配給所の仕事だけでも大変なはずだと思い直し、「返事は急がなくていい」と結んだ。 その日の午後、王の一行は灰冠城へ向かった。馬車を出してくれたが、王は自分も乗るとは言わず、城へ送る荷の確認や、道中の兵との短い相談で忙しくしていた。腕を傷めた人がそこまで動くものかと気になり、ダリオに尋ねると、彼は「医師には私も怒られます」と困った顔をした。 夕暮れ前、城が見えた。灰色の石壁は背後の山肌に溶け込むように建てられ、門の外には交易の荷車が順番を待っている。宮廷の華やかさを想像していた私は、泥のついた車輪と荷運び人の声に、少し安心した。ここにも品物を数え、受け渡す人がいる。 王は城門で私に声をかけた。 「北倉の帳簿は、明日から照合できるようにする。今日は休んでくれ」 「陛下も休んでください。ダリオさんが医師に怒られるそうです」 王は隣のダリオを見る。彼は知らないふりをして荷車のほうを向いた。 「部下にまで心配をかけているなら、そうするべきだな」 私の前では素直に言うくせに、部下の前ではなかなか休まない人らしい。城へ来るまでの短いあいだに、私は王について、そんな取るに足りないことを幾つか知った。 あてがわれた部屋は、厨房と記録室の間の廊下にあった。王から遠すぎず、仕事へ通いやすい場所だと案内役が説明する。広すぎない部屋には机と小さな書棚があり、窓からは城の中庭が見えた。客間というより働く人の部屋らしく、かえって落ち着く。 翌日から、私は北倉の記録と自分の帳簿を照らし合わせた。城の記録係は最初、私を疑っている様子を隠さなかった。自分の群れで横領を疑われている者が、王城の帳簿を見たいと言うのだから、当然かもしれない。私は原本を勝手に動かさず、必要な頁を毎回確認してもらった。 昨冬の納入票と同じ日付には、北倉側の受領記録がない。ただし、その前後にも雪で遅れた荷はあり、書類が別の日にまとめられた可能性も残っていた。私は確認した日付を紙へ書き出し、分からない箇所には印をつける。確かなことより、まだ確かでないことのほうが多かった。 城へ来て三日目の夕方、記録室から戻ると、廊下の様子がいつもと違っていた。中庭へ面した窓の鎧戸が早くも閉められ、王の執務室へ続く通路には兵が立っている。厨房では夕食の支度が進んでいるのに、普段そこで行き来している人まで別の廊下を使っていた。 私が立ち止まると、通りかかったダリオが足を緩めた。 「仕事は終わりましたか」 「今日はここまでです。何かあるんですか。外の戸まで閉めているみたいですけど」 ダリオは閉じた鎧戸を見た。 「今夜は満月です。城では毎月、こうします」 「理由を聞いても?」 「陛下からお話しすると思います」 そう言われると、それ以上は聞けなかった。ダリオは私を部屋まで送り、あとで王が訪ねてもよいか確認したいと言った。私は頷き、机の上に調査の紙を並べながら待った。 日が沈んで間もなく、王が来た。傷の包帯は薄いものに替わっており、腕を吊る布も外している。扉のところで立ち止まったまま、彼は室内を見渡した。 「休んでいるところだったか」 「帳簿を見直していました。明日、北倉の人に聞きたいことができたので」 「それなら仕事の話からにしよう。俺も、頼みたいことがある」 私は机の向かいの椅子を勧めた。王は調査の紙が散らばらないよう場所を空けて座る。国境で見つけた納入票について簡単に話すと、彼は明日の聞き取りに記録係を同席させると答えた。そのあとも席を立たず、窓の閉じた鎧戸へ目を向ける。 「城へ来る前に話すべきだった。言い出すのが遅くなって、すまない」 王の声には、部下へ指示するときの迷いのなさがなかった。私は紙を重ね、彼のほうへ向き直った。 「満月のことですか」 「そうだ。俺は満月の夜に起きたことを、夜が明けると覚えていない。何年も前から続いている」 聞き違いかと思った。けれど王はそのまま待ち、私が意味を尋ねる時間をくれた。 「昨夜までのことは覚えているんですか」 「覚えている。失うのは、満月の夜に見聞きしたことだけだ。夜が明けてから誰かに聞いたり、書かれた記録を読んだりすれば、何が起きたかは分かる。ただ、自分がその場で何を考え、どう感じたかまでは戻らない」 だから鎧戸を閉め、人の行き来を減らしているのだろうか。私は川岸で、彼が腕の痛みを隠しながら迎えを待っていたことを思い出した。記憶を失う夜に誰かを傷つけるのを、彼が恐れているのかもしれない。そう推測はできても、私が決めつけていい話ではなかった。 「今夜、私に何を頼みたいんですか」 「起きたことを書き留めてほしい。これまでダリオや城の者が記録を残してくれたが、今夜は俺の周りにいた者以外の目も必要だと思っている。北倉の件を調べ始めたばかりで、この夜を境に何かが変われば、お前も気づくだろう」 「私が見たことを、陛下が明日読むために?」 「そうだ。だが、断ってくれて構わない。お前には、俺の事情を聞いたうえで仕事を選ぶ権利がある」 私はすぐに返事をしなかった。王が満月の夜に何をするのか分からないまま、引き受けることはできない。 「記録している間、私はどこにいることになりますか。危険はありますか」 「俺の執務室だ。扉の外には兵を置く。今夜は外へ出ないし、武器も持たない。ただ、俺自身にも覚えていない時間がある以上、絶対に危険がないとは言えない。少しでも不安を感じたら、退室していい」 彼は答えにくいことまで答えた。私を説得するために安全だと言い切るほうが簡単だったはずだ。私は自分の筆と、記録に使える紙の枚数を頭の中で数える。 「引き受けます。ただし、誰が何をしたかだけでは足りません。陛下が言ったことも、困っている様子も、私の見たとおりに書きます。翌朝に読みたくないことがあっても、先に消してほしいとは言わないでください」 「それでいい。いや、そうしてほしい」 王が立ち上がる。私は机の紙を片づけてから、小さな記録帳と筆を持った。廊下へ出ると、閉じた鎧戸の向こうで風が鳴っている。王の執務室までは短い距離だったが、誰もいない通路を並んで歩くと、彼の城の中にいて初めて、ここには私の知らない夜があるのだと感じた。 扉の前で、王は足を止めた。 「リヴィア。もし俺が明日の朝、今夜の礼を忘れていたら、遠慮なく言ってくれ」 「手当ての礼は、もう何度も聞きました」 「あれとは別だ。忘れると分かっている夜に、ここへ来てくれたことへの礼を言いたい」 私は筆を持つ手を少し握り直した。昨日からの彼は、頼みごとをするたびに、私が断れる場所を残してくれる。その理由を聞きたかったが、今は自分の言葉で答えることにした。 「だったら、明日の陛下が読めるように書きます。私が来たのは頼まれたからだけじゃなく、自分で決めたからです」 王は頷き、執務室の扉を開いた。机の上には何冊もの記録帳が積まれ、その一番上だけ、新しい頁が開いている。私は隣の机に座り、日付と時刻を書いた。満月はまだ鎧戸の向こうにある。今夜、王が何を忘れることになるのか、私にも分からなかった。窯を借りた男の署名は、朝の光に透かしても読み取れなかった。筆の終わりだけが紙に深く食い込み、前半は急いで書き流したように潰れている。私は昨夜から何度も眺めていたが、読めるはずだと思い込むほど、知っている名前に見えてしまう。「ここで名前を決めるのはやめましょう」 私が帳面を閉じると、ヴィンはうなずいた。彼も同じ署名を別の紙に何通りか写していたが、どれにも自信がないらしい。「代金の受け取り先から追えます。現金払いでも、窯を借りる前に誰が道を通したかは残るはずです。国境の荷を王城へ入れる許可を調べてみます」 通行の控えを探しに行ったヴィンの背中を見送り、私は窯から預かった銀板と、三台目の馬車で採った粉についての記録を並べ直した。どちらも行き先を証明するには足りない。だからこそ、書類を一枚見つけるたびに犯人の名前を先回りして書きたくなる気持ちを、抑えなければならなかった。 昼前、ヴィンが戻ってきた。抱えていたのは通行記録ではなく、厚い人事簿だった。「クレイン商会の名義で、昨冬に王城北倉への荷の搬入申請が出ています。その控えを探していたら、王廷の補給官を選ぶための書類にも同じ申請番号があったんです。荷の申請を、職を求める際の実績として使っています」「誰が?」 ヴィンは私を見て、答える前に簿冊を机へ置いた。「ガレス・ロウです」 知っている名前なのに、耳に入った途端、しばらく意味を結ばなかった。ガレスが地位を欲しがっていたのは昔から知っている。領内の役職では満足せず、王城で仕事をしたいとも言っていた。私が驚いたのは、その願いが窯の荷と同じ書類に現れたことより、いつの間にか私は、彼の望みを深く考えるのをやめていたからかもしれない。 人事簿には、北倉の補給監督補佐を求める申請が綴じられていた。冬の荷が行方不明になる前に、ガレス自身が署名している。添付された事業計画では、自分の群れとクレイン商会が冬道の輸送を整え、王城の補給費を減らせると訴えていた。荷の搬入実績が認められれば、補佐の選考を進めてほしいともある。 そして、その後ろに挟まれた写しに、私の署名があった。『王城北倉向け物資の搬出命令を確認し、記載の荷を引き渡す』
南の古い精錬路へ入る前に、私たちは橋のたもとで馬を降りた。ヴィンが見つけた修繕費の控えには、春に架け直した欄干の長さまで記されている。実際に見ると、片側の木だけ色が新しく、橋板には荷馬車の車輪が通る二本の筋が深く残っていた。 ダリオが三台目の馬車から採った灰色の粉を、小さな紙包みごと職人に見せる。橋の補修を請け負った男は、指につけて匂いを確かめたあと、顔をしかめた。「窯の灰ですね。ここから先へ運ぶなら、春は馬車を軽くしないと橋がもちません。冬は欄干を壊したまま通したやつがいて、その修繕を私らがやったんです。誰の馬車かまでは見ていませんが」 橋を通ったのがオーウェンの荷だとは、まだ言えない。私は修繕の日付と職人の名を書き留めた。ダリオが橋板の筋を調べているあいだ、エイドリアンは川上に続く道を見ていた。「窯まで馬で行けるか」「行けます。ただ、あそこには今も人がいますよ。古い窯を使って細々と仕事をしている連中です。勝手に押し入れば、見せてくれるものも隠すでしょう」 職人の忠告を受け、私たちは護衛を橋に残して三人で向かった。窯の入口には割れた鉢と石炭袋が積まれ、炉からは細い煙が上がっている。すでに誰もいない場所を想像していた私は、仕事中の人たちを見て少し恥ずかしくなった。ここには、昨日までの暮らしがある。 責任者だという女は、王の名を聞いても帳面を胸に抱えたままだった。「うちは税を納めています。王様が来たからといって、釜の中身を全部ひっくり返されたら明日の仕事が止まります」「必要なものだけ見せてほしい。仕事の損失が出たら記録して払う」とエイドリアンが答える。「後で払うと言われて、後で払ってもらえた経験があまりないんですよ」 女はすぐに引かなかった。私は橋で採った粉の包みを出し、炉そのものより、昨冬にここへ来た荷と粉の由来を知りたいのだと説明した。彼女は私の帳簿とエイドリアンの顔を見比べ、窯の裏にある棚だけを案内すると決めた。「荷主の名前を知りたいなら、うちの控えを読んでください。ただし持って帰らないで。前に役人に原本を持っていかれて、返してもらうまで仕入れを二重に払いました」 彼女の警戒には理由があった。私たちはそ
城へ戻った翌朝、ヴィンが南の街道図を机いっぱいに広げた。紙の端を文鎮で押さえても、長く巻かれていた癖が抜けず、精錬路のあたりが丸まって見えなくなる。私が帳簿を重しにすると、ヴィンはようやく道を指で追えるようになった。「オーウェンさんが言った窯は、ここでしょう。古い精錬路は冬でも通れますが、荷を積んだ馬車には狭い。三台とも向かったなら、途中で車を替えたはずです」「三台目は車輪の番号が削られていたわ。替えた車かもしれないし、あとで別の場所を走っただけかもしれない。今ある記録だけでは、つなげられないわね」「そう言われると思って、修繕代の控えも持ってきました」 ヴィンは得意そうに薄い綴りを差し出した。昨年の冬、精錬路沿いの橋は雪で欄干を傷め、春先に補修されている。通れなかった証拠にはならないが、道幅や車輪の跡が残った場所を探す手がかりにはなる。私が礼を言うと、彼は「褒めるのは帰ってきてからにしてください」と答えた。「ダリオさんはアデルさんの家へ行っています。返事が届くまでは、こちらも動きすぎないほうがいいでしょう。守る相手がいる捜査って、帳簿を読むより気を使いますね」 以前の私なら、そこまで考えただろうか。損失の数字は追ったのに、戻らなかった御者の名前を追わなかった。その後悔に足を止められたくはないが、忘れて仕事を手早く済ませた気にもなれなかった。 昼を過ぎてダリオが戻り、私はヴィンと一緒に報告を聞いた。アデルの家の周囲に不審な人影はなく、兵は離れた二か所に配置したという。オーウェンの手紙は、ダリオが直接渡した。「奥方は、最初の一行を読んだところで座り込みました。しばらくして全部読み終えると、泣くのをやめて、あいつは脚をどうしたのかと私に聞いた。事情を話したら、今度は怒りだしたよ」「何に?」「本人が生きていてよかったことと、知らせを寄越さなかったことは別だ、と。ずいぶん正確な言い分だった。あの場では、私も余計な口を挟めなかった」 ダリオは大きな手で封書を一通、机へ置いた。アデルからの返事だった。オーウェンに直接渡してほしいと書かれた宛名の下に、私たちへの短い伝言が添えてある。娘を伴って会うつもりだが、家の安全と道中の護衛を自分でも確かめた
診療所からの返事には、名前が書かれていなかった。『お尋ねの冬の輸送について、話をしたいという者がおります。本人の希望により、会うまでは所在を公にしないでください』 それだけでも、便箋を持つ私の指は落ち着かなかった。エリアスの話を聞いたあと、私たちは輸送路沿いの宿と診療所に、オーウェン・ベルの人相と荷馬車の事故の記録を尋ねていた。返事の大半は「心当たりなし」だったから、この一通にも期待しすぎまいと決めていたのに、出発の支度をするあいだ、私は何度もアデルの顔を思い出した。 国境の診療所は、川沿いの粉挽き小屋を改めた建物だった。戸口には乾いた薬草が吊られ、奥から石臼ではなく、湯を沸かす鍋の音が聞こえる。エイドリアンは護衛を外に残し、私とダリオだけを伴って中へ入った。 迎えた年配の医師は、王の顔を見ても腰を折らなかった。「先に断っておきますが、ここで暮らす人間を、診察台から引きずり下ろすような真似はさせません。あの人は手紙の内容を読み、自分で会うと言いました」「それでいい」 エイドリアンが答えると、医師はようやく廊下の先を示した。診療所の保護を頼っている人なら、王が来たこと自体、脅しに見えるかもしれない。私は部屋へ向かう前に、そのことをエイドリアンに小声で伝えた。「まず、私から話してもいいでしょうか。帳簿で名前を見つけたのは私ですし、彼の奥さんにも会いました」「わかった。私はここで待つ。彼が望まなければ入らない」 飾り気のない返事だった。私は安心した半面、自分だけが先にアデルの夫と会うことに、奇妙な後ろめたさも覚えた。 小部屋には窓が一つあり、洗った布が日の当たるところに掛けられていた。机の前に立つ男は私より少し年上に見え、左脚をかばっていた。衣服は清潔だが、袖口は何度も繕われている。名乗る前に、彼は私の手にある古い帳簿へ目を留めた。「まだ、あれが残っていたんですね」「オーウェン・ベルさんですか」「ええ。先に聞かせてください。妻と娘は生きていますか」 問いに勢いはなく、そのぶん、答えを待つ間の長さが痛かった。「お二人とも生きています。アデルさんには先日お会いしました。娘さんも一緒
配給所の戸を開けたガレスは、最初に人の声ではなく、床を引きずる木箱の音を聞いた。奥ではイーダが薬の箱を数え直している。机には保存食の出庫票が積まれ、まだ朝の配給が始まっていないのに、窓口の外には十人ほどが並んでいた。「足りないのか」 ガレスが声をかけると、イーダは箱の蓋を閉めた。祝祭以来、彼女は仕事に必要なことしかガレスに話さない。今日も棚から帳簿を取り出し、印をつけた頁を開いた。「薬は今日の分があります。ただ、来週の分として頼んだ箱が、まだ来ていません。保存食は今朝、配る量を減らさないと週末までもたないです」「南から荷が来る予定だろう」「予定はそうです。でも、いつ着くかを確かめてもらえませんでした。先週から三度、長の執務室に伝えています」 ガレスは帳簿に目を落とした。イーダの字で日付と残数が並んでいる。その横に細かく書き込まれた古い注意書きは、リヴィアの字だった。小さな子どものいる家、狩りで負傷した者、ほかの村から一時的に身を寄せている家族。彼女は決まった量を配るだけでなく、誰がいつ受け取れなかったかまで記していた。「この欄は、必ず埋めなければならないのか」「埋めないと、来なかった家の分が余ったのか、取り置きが必要なのか分からなくなります。リヴィアがいたときは、受け取らなかった人のところへ、その日のうちに誰かが様子を見に行っていました」 イーダは箱を棚へ戻した。ガレスには、嫌味を言われたようにも聞こえた。ただ、今朝ここに並ぶ人々を前に、言い返す言葉が見つからない。「南には俺から催促する。今ある分は、夕方までに代わりを手配するから、朝はいつもどおり配ってくれ」「夕方までに届く見込みがあるなら、そうします。約束だけなら、今ある量に合わせて配ります」「俺が手配すると言っている」「だから、届く見込みを聞いているんです。昼に薬を使ったら、夕方届く予定の箱を開けることはできません」 外で待つ女が、窓口を覗いた。イーダは彼女に、もう少しで始めると告げる。ガレスは何も言わず、出庫票を一枚取った。南の集積場へ送った注文書に、確かに自分の承認印がある。だが、そのあと誰が到着日を確認することになっていたか、思い出せ
警備室でエリアスの名を尋ねると、ダリオは北倉の古い勤務簿を開いた。昨冬に休職したあと、兵へは戻っていない。今は城から半日ほどの町で、革具の修理を手伝っているという。「こちらから事情を伝えて、会ってもらえるか聞きます」とダリオが言った。「陛下がいきなり訪ねれば、断りたくても断れません」 私は頷いた。王はエリアスを傷つけたという記録を、長いあいだ信じてきた。私たちは追記の筆跡を疑っているが、エリアス自身の話を聞いていない。その状態で王に「あなたはやっていない」と言うのは、私にはできなかった。 ダリオからの手紙に、エリアスは翌朝返事を寄こした。王本人と話すことを望む。ただし、リヴィア・フェンも同席してほしい、とある。「私の名前を知っているんですか」「冬の荷の帳簿を調べていると伝えました」とダリオが答えた。「エリアスも、荷を送り出した群れの記録係が来るなら話したいそうです」 王は返事を読み、自分の腕で馬を操れるようになったから騎乗で行くと言った。ダリオが医師の名を出す前に、私は「馬車で一緒に行きましょう」と勧めた。王は私を見て、今度は争わず頷いた。 道中、彼は冬の記録の写しを膝に載せていた。昨日から何度も読んでいるはずだ。追記の筆跡が本人のものに見えないと分かっても、書かれた出来事まで嘘だとはまだ決められない。そのことが王を悩ませている。「もしエリアスが、俺に腕を折られたと言ったら」 馬車が町へ近づいたころ、王が口を開いた。「私は、彼の話を聞きます」「お前には、俺を信じたい理由もあるだろう」「あります。だから一緒に来たんです。でも、彼が何をされたか決めるのは、私でもあの帳面でもありません」 王は写しを畳んだ。怒った様子はなかったが、続く言葉を探しているように見えた。「お前に、そんな返事をさせたかったわけではない」「分かっています。陛下は、万一のとき私が困ると思ったんでしょう。私はエリアスさんが話す前から、傷ついたのは誰かと考えています。会ってから答えを決めましょう」 王は「そうだな」と言い、窓の外へ顔を向けた。町の家々が見えてくる。石畳の端には、荷車から落ちた藁が風に寄せられてい